陶芸家・神田純子さん
神田純子「神窯(じんよう)」
1975年、長野市生まれ。高知大学人文学部人文学科卒業後、(岐阜県)多治見工業高等学校陶磁科学芸術科で陶芸を学ぶ。2004年から長野市戸隠に居を移し、鉢・食器などの陶器を製作している。
| 2001年7月 | 日本橋高島屋にて美濃土竜三人陶展(以降3年間にわたり開催) |
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| 2001年10月 | 南風の生活文化展2001、入選 |
| 2004年7月 | 阪急梅田店にて東京クリエイターズ展 |
| 2006年5月 | 長野市ナノグラフィカにて初個展「日々。」 |
| 2006年9月 | 阪急梅田店にて「木(き)・金(かね)・土(つち)」 |
今の仕事を選んだきっかけは何ですか?
会社員みたいに普通には働かないというのが、中学生とか幼い頃から感じてました。
それで、高知県の大学に入ったらおバカになっちゃって(笑)。大学4年間はウクレレに捧げました。
大学での一人暮らしのときに、使いなじんだ母の実家の大谷焼の湯のみでお茶を飲んだら、すごくほっとした自分がいて、ああ、陶器ってすごく良いな、って感じたんですよ。母の影響も今考えると少しあったと思います。認めたくはないんですが(笑)。
母方のひいおじいさんとひいおばあさんが、徳島県鳴門市の大谷焼で有名な地域で焼き物をつくる職人だったんですけど、母からすれば陶芸は身近な存在だったんだと思います。私は年に1・2回、夏休みとかに鳴門に遊びにいくんですけど、窯に興味を持つというよりは、窯の周りでかくれんぼみたいな遊びをしていたりとかでしたけどね…。
普通の家庭環境から考えれば、陶芸の窯にふれるということ自体なかなかないことだと思います。
ものづくり=陶芸という考えの理由になるんじゃないかと思いますけどね。
いろいろ、複合的にですけどね。
大学在学中に専門学校進学を考えだしたときに、最終的に残ったのは、広告業界か陶芸かという同じものづくりでも両極端な世界だったんですけど…。最後に背中を押したのは、陶芸職人の血が流れている(=DNAを受け継いでいる)ということかな。それだけでいままでがんばれてこれたかな、というのはあります。
なるほど、それで岐阜県多治見市の陶芸の学校(通称・専攻科)で学ぶことになったわけですね。
専攻科ではオブジェを選考していたので、ろくろは授業以外はあまり使わなかったんですよ。造形の方ですね。形を表現したかったんですよ。めったにろくろを使わないわりには、先生には上手だとほめられてました。若い女の子だったからかな…(笑)
作風についてですが、まず思うのは、とても軽くて薄いということです。
手に取ったときに驚きがあります。
いままで自分では軽さとか考えてなかったんですよ。やっているうちに、みんなから「すごく軽いね」って言ってもらうようになって、そのギャップは、狙ってはいなかったけれど、うれしいなという感じでした。
この作風ははじめからだったんですか?
いえ、そんなことはないです。だれでも最初は重いです。厚さも側面なのか底面なのか分からないくらいに厚かったです。学校でろくろを習っているとき、重く見えるんだけど軽い、というのは技術・腕がある証拠だと先生がおっしゃっていたんですね。ろくろは当初重視していなかったんですけど、やるからには、うまくなりたい。うまくなりたい=重くみせて軽く作る。これが無意識のうちにどんどん進んでいって、うすく軽い作品を作るようになったんだと思います。
ただ、形状によっては失敗することも多々ありで…。窯から出してショックを受けるときもよくあります。
以前、三つ足の三角っぽいお椀を作ったんですけど、足の部分に重みがかかってすごく歪んで、作品が全滅してしまったんです。そこで底の部分を丸くして重みを分散させたり工夫した結果、ちゃんと高台(こうだい)をつける形にしてみたんです。高台があることで、持ちやすさとか実用性以外にも余計な歪みを抑えることができるということがあるんですね。
軽さは、粘土による軽さではないのですか?
よく質問されるんですが、粘土というわけではなくて、ただ薄く作っているので軽いんですよ。失敗した作品の中には、気づけば厚さ1ミリというものもあるくらい薄く作っています。
作品の色についてですが、独特な緑色は、この粘土じゃないと出ないわけですか?
そうですね。色に関しては、専攻科を出たあと名古屋の陶芸教室の講師をしてた頃の作品で出た色です。きっかけは偶然だったんですけどね。結局は粘土と釉薬(ゆうやく)の相性、化学反応した色なんですけどね。銅も入っていると思います。お寺の鐘とかの青銅の色も好きだったんで…。信楽(しがらき)の土を、酸化させて(空気がある状態で)焼いてます。表現としては、チョコ・ミントの色かな、と思うんですよ。
盆栽用の鉢についてはどうですか?
盆栽用の鉢の仕事が本格的に始まったのは去年の秋くらいです。大量に作るので、できたら後処理が楽な方が良いというのがあって、同じく作るなら薄く作れる技術を習得しようという姿勢でやってます。
盆栽用の鉢は、黒泥(こくでい)という土を還元(空気がない状態)で焼き締めています。
盆栽作家さんの要望として黒色で、ざらっとした感触にしたくないということだったので、土はもう決まっていたんです。ほとんど使ったことのない土だったんですけど、まあできるかなとたかをくくっていました。でもこれがすごく難しくて…。この土が、土の中で一番気難しい土なんじゃないかなと思います。土の中の鉄分が非常に聞かん坊なところがあるんですよ。ほんとに愛情かけて、作った後も気をつけないと、歪みが出てきちゃったりとか。かなり世話のかかるヤツなんです。
鉢を大量に作っていくことで、腕が磨かれたと思うんですよ。一番難しい土で、さらに薄く作る。という作業を繰り返したこともあって、この土以外の粘土の場合、薄く作るのが容易になったんですよ。難しい問題を解いていたので、簡単な問題を解くのは楽。みたいな感覚ですね。
それでもまだまだ極めているわけではないので、もっと作らないとな、と思います。人間が作っているので、それぞれが微妙に違ってしまうんですよ。だから、見たときの印象が同じになるようにしていかないといけない。1ミリでも印象がまったく変わるし、少しのラインのふくらみで印象が変わってくるので、そういう部分はもっとつきつめていきたいです。
ところで神田さんの窯の名前、「神窯」の由来を教えていただけますか?
苗字が変わっても変わらなくても、子孫が残せても残せなくても… 神田家という名前は残したい、そう思って、親への感謝も含めて私がつけました。神田家の窯という単純な意味です。戸隠に住んでいるからといって、決して神がかり的な名前ではありません(笑)。
(一同、半円形の虹が山と山の間にアーチを描いているのに気づく)
あ、虹だ。すごく虹きれい。完全な形の虹だ〜。なんかいい事ありそうですね!?
ここたまにすごくきれいな虹がでるんですよ。下界よりは沢山でますね。得してます(笑)
ここら辺で少し休憩しますか。
(神田さんの陶器についでもらったコーヒーを飲みながらしばし会話。でも、休憩とインタビューの区切りがつかないくらいリラックスしてました…)
そういえば、以前お話ししたときに、山の力を自分のパワーにかえるというような話をしたんですけど、自然に対して特別な感情はありますか?
私はどちらかというと、アース(自然)な感じというよりはコスモ(宇宙)な人なんですけど。(笑)
コスモってなんですか?
宇宙大好きっ子なんですよ。空にあるもの全てが好きなんです。まず天体、空、雲、飛行機とか全て。宇宙に関するテレビ番組も食いつくように見てしまいます。宇宙空間を想像することで、「怖い」という感覚ではなくて、逆に宇宙に戻る(還る)んです。
今回、この取材を受けるにあたって改めて考えたのですが… なんで陶芸(土)というアース(自然)な仕事に携わるのかというと、土は地球という惑星の素材で、宇宙の一つですよね。例えば木は地球から生まれた生命だけど、土は地球=宇宙そのもの。鉄やシルバーも地球そのものの成分で、陶芸はそれら全てを含んで成り立つ。私が偶然にも陶芸(土)という仕事を選んだのは、単なる偶然だったのか、必然だったのか…(笑)どちらにしても嬉しい発見でした。
長野について思うことはありますか?
私は逆に海が良かったんですよ。海って1日中いれる。大学生のとき、海までバイクで20分くらいだったんですけど、ウクレレ持って海に行って、ウクレレ弾いて、なんか元気になったな〜。みたいな。(笑)基本的に住むのはどこでも良かったんですけど、私が大学生くらいの時から母は陶芸をやり始めていて、環境は整っていたわけです。私は非常に恵まれた環境にいますよね。私くらいの年齢で窯を持っているというのはかなり珍しいと思うんですよ。実際は使わせていただいているんですけどね(苦笑)。
長野から離れていて、帰省の度に良いところを発見してきて…。家の周辺の木々に白い雪が降ると、とても情緒が感じられるんですよ。冬の明け方には山に朝日が反射して、ピンクに染まったりとか、夜は条件がそろうと星がすごいんですよ。さっき虹が出ましたけど、ああいう瞬間だったりとか。良いですよね。山好きの人にはたまらないんでしょうね。
あと、心持ち変わったことは、戸隠って海だったらしいんですよ。だから、海底の山脈が切り立ってできたのが戸隠だと思うと、それを想像して「ここは海だ」とか思って、発想の転換でさらに楽しく暮らせるかな、って。
ちなみにここは標高900mくらいらしいのですが… 標高900mは母親の胎内の気圧と一緒らしいんですよ。ということはα波とか出やすいんでしょうかね?
目標や将来の夢などありますか?
個展でお客さんから、「作品を見てドキドキしました」と言ってもらえたことがあって、とてもうれしかったんですよ。昔の自分を思い出しました。大好きな作品に出会うとドキドキしてしまう純粋な気持ち…忘れかけていました。それから湯呑みで「ほっとした」感覚も大切な事なので、『ほっとする』と『ドキドキ』が融合するような作品を作っていけたらと思ってます。
あとは、盆栽用の鉢の仕事をするようになってから、作品に対して見方が変わってきたんですよ。いままでは好きなように作ってたけど、結局それって自己満足というか趣味の世界だったのかなっていうのが少しあって…。今、やっとスタートラインに立ったのかな、という感じですね。ある意味、自分の表現との割り切りなのかもしれないんですけど。自分というよりは手に取った人を思っての、もの作りをしたいと思っています。100人の中の1人が良いねと言ってくれる作品ではなくて、100人の中の100人が良いねと言ってくれるような作品をつくりたいです。鉢の仕事は、依頼された商品を作るという請け負いの仕事ではあるんですけど、これから様々な経験をして、商品(プロダクト)から芸術に昇華させることができたらと思います。
あなたにとっての和みは何ですか?
はじめに思ったのが、『和み』と『癒し』の違いってなんだろう、ということです。
『癒し』は気持ちがマイナスのときに回復させてくれる働きで、『和み』は気持ちがプラスのときにさらにプラスにしてくれるような、そんな風に私は思っています。私は最近あまり和んでないかな〜。和みたいですね。(笑)
なるほど…。ほんと、『和み』って何でしょうね。深く考えてなかったです(苦笑)
ちなみに癒されるときってありますか?
音楽、場所(空間)、コーヒー。ですかね。癒されますね。
あと、空や虹とかを見ると癒されます。
今日はどうもありがとうございました。
インタビュー後記
今回からコーディネーターの本間さんも話に加わって、より深く作品についてのお話を聞けたように思います。まだまだ聞き足りないところはありますが、それはまた期間をおいて話せたらと思います。神田さんは、感性の人だな〜。と思いながらお話しをしていたのですが、やはりその感性の中にも、脈々と積み上げられている伝統、技術というものが伝わってきました。 ちなみに神田さんのお宅はギャラリーとして作品を展示しています。お父さんが苦心して作成したホームページ「陶ギャラリーキッサコ」で詳細をご覧ください。
